自動車産業にとってバブル崩壊は残酷にも色々なプロジェクトを葬り去った。とりわけ印象に強いのが、和製スーパーカーが誕生したかもしれない状況を完膚なきまでに葬り去ったことだろう。
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●2台並んだ和製スーパーカー
童夢・零の誕生はバブル期とは無関係だったが、頭の固かった当時の運輸省は型式認定すら受け付けないという状況で、結局このクルマの開発はストップし、放置されたまま終焉を迎えることになった。
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●童夢・零。このクルマも複数台作られたはずで今も現存しているはずだ
搭載されたエンジンは日産のL28直6ユニットで、ノンターボユニットである。
制作には当時の日本を代表するコンストラクター、エンジニアが集合していたから、まさに日本のプライベートエンジニアがその持てる技術をすべて注ぎ込んだ車と言って過言ではない。
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●開発に携わったのは、林みのる、三村健司、小野昌朗、由良卓也と、錚錚たるメンバーである。
童夢・零は1978年に完成していたが、それから11年後の1989年、今度はジォット・キャスピタが誕生する。企画をしたのは童夢・零と同じ林みのる氏。童夢での体験をもとに端から日本での型式認定取得をするつもりはなく、生産はイギリスで行うことを画策していたようである。
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●ジォット・キャスピタ。このクルマは現在日本自動車博物館に展示されている
市販化の本気度はクルマと並行して立派なカタログが作られていたことからも容易に察することができる。エンジンはF1に使用したスバル製の3.5㍑水平対向12気筒。一号車にはこのエンジンが搭載されたが、スバルがプロジェクトから離脱したことで2号車はジャッド製のV10エンジンを搭載していたという。
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●ジォット・キャスピタのカタログ。まさに幻のカタログになった。
残念ながらこのクルマはバブル崩壊で採算予想が大きく崩れプロジェクト自体が終焉してしまった。
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●シェイクダウン時のジォット・キャスピタ
2台が走ったのはジォットのシェイクダウンの時。だから、89年だったと思う。2車の走る姿をとらえたのは貴重なものだ。また、このシェイクダウンにはドライバーの松本恵二氏をはじめ童夢の林みのる氏などが参加していた。
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●走行中のジォット
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●走行中の童夢零
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●シェイクダウンドライバーの松本恵ニ氏
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●企画と開発を主導した林みのる氏
何故当時の運輸省はそこまで頑なにこの種のスーパーカー誕生を拒んだのか全く理解できない。
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●キャスピタのインテリア。ステアリングは外されている。内外装のデザインは伊藤邦久氏