初めて免許を取ったのは16歳の時。軽免許を取りそこなったため、すかさず自動2輪の免許を取った。以来、クルマよりも先にヤマハHS-1、ヤマハミニトレール、ヤマハRD350ともっぱらヤマハのバイクばかりを乗っていた。
その後、1980年代になって何故かバイク雑誌の編集長に。その期間は短かったが2輪のジャーナリストとしてはかなりの期間を過ごした。そんな中でとても印象に残るのは鈴鹿8時間耐久レースのチーム監督を務めたことと、御殿場にあった富士モーターサイクルミュージアムの開館を取材したことだ。
●かつて御殿場にあった富士モーターサイクルミュージアム
今、富士モーターサイクルミュージアムでネットを検索しても出てこない。出てくるのはつい最近富士スピードウェイのホテルに併設された富士モータースポーツミュージアムのことばかりである。
残念ながらいつ開館したのかを覚えていないし、閉館した年も不明である。もちろんモーターサイクル誌をくまなく探せば多分出てくるであろう。開館セレモニーの当日はオーナーの林良至氏をはじめ、タイムトンネルを主宰していた故吉村国彦氏などが来ていた。
●向かって右が富士モーターサイクルミュージアムのオーナーだった林良至氏
●開館セレモニーであいさつをしたタイムトンネル創始者の故吉村国彦氏
ワークスレーサーの多くが屋外に運び出されていたが、何故このマシンがここにあるのか⁇と言った信じがたいレーサーが多数あったことを覚えている。
●何故こんなマシンが⁇ ヤマハYZR750 キングケニーことケニー・ロバーツのマシンだ
以前からヴィンテージバイクには興味があって、自分で立ち上げた雑誌にはヴィンテージバイクのコーナーを作り、古いBMWやヴィンセントなどを取り上げたが、この富士モーターサイクルミュージアムにはそのすべてがあった。
●バイクのロールスロイスと言われたヴィンセント・ブラックシャドー
驚いたのは自動車メーカーで知られるマセラティがバイクを作っていたこと。ここに来てその事実を初めて知った。
●マセラティがバイクを作ったことを知ったのはここに来てである。
今、ここにあったバイクたちはどこに行ったのか。ワークスマシンはメーカーに戻されたとして大好きなノートン・マンクスやAJS 7Rボーイズレーサーなどはどうしただろう⁇
●大好きなバイク ノートン・マンクス
●これもやはり大好きなAJS7Rボーイズレーサー。この辺りのバイクは小説「汚れた英雄」に出てくる
そんなとても素敵なバイクたちをここでいくつか紹介する。
●スズキRGΓ500 1982年にフランコ・ウンチーニのライドで世界選手権に優勝したマシン確か博物館がオープンしたのはその直後のはず。
●あまり知られていないブリジストン製のバイクEJR-Ⅱ 荒川の土手にテストコースがあってそこを走っていたとか。ホンダも荒川の土手にテストコースがあって、あっちはF1を走らせていた。行ってみたかった。