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低く優雅なたたずまいを持ったこのクルマ、全部で225台しか作られなかったと言われる、貴重なランボルギーニ・イスレロです。350GTから始まったランボルギーニのモデル系譜は、その後400GTに変化。そしてその後継車として誕生したのが、このイスレロです。
350/400GTは、カロッツェリア・トゥーリングの作と言われていますが、このイスレロが誕生した当時、カロッツェリア・トゥーリングは操業を止めていたそうです。そしてトゥーリングにいた従業員の多くは、カロッツェリア・マラッツィに転職したと言われます。このカロッツェリア・マラッツィは、1967年に創業した新しいカロッツェリアで、トゥーリングの仕事を引き継いだことと、スーパーレッジェラ工法を取得していたことで、その後もイスレロの生産に始まり、アルファロメオ33ストラダーレやランボルギーニ・ハラマの生産を手掛けたそうで、カロッツェリア自体は現在もしぶとく残っています。
さて、このイスレロ、運転以上に実は苦い経験があります。当時僕はこの輸入車の会社でアルバイトの身だったわけですが、たまたま工場のメカの人が来て、「おい、ちょっとイスレロのプラグ外しておいて」と頼まれました。まあ簡単だろうと思って始めたのですが、な、なんと、12本のプラグのうち1本がどうしても外せません。それは確かスロットルリンケージか何かの下側に入っていて、プラグレンチを入れられなかったのです。悪戦苦闘しているとそのメカ氏、「10分で外せたら昼飯奢ってやる」と。一気にモチベーション高まり、何とか外そうとしたのですが、時間だけが無情に過ぎ、結局タイムアウト。メカ氏はユニバーサルジョイントの付いたレンチを持ちだして、いとも簡単に外しました。そんないいもん持ってないもん!と言い訳しましたけれど、さすがはプロのメカニックの腕はお見事…と思いましたけど、このメカ氏、実は自分でバラしたフェラーリ250のエンジンを組めなくなって長年放置した前科もあります…(時効)
イスレロは、素晴らしく良くできた上に乗り易いランボルギーニでした。僕にとってはミウラ、ハラマ、それにカウンタックと並んで、この時代にドライブしたランボルギーニのうちの1台ですが、一番楽にドライブできたランボルギーニだったと記憶します。